フランス文学と詩の世界
Poesie Francaise traduite vers le Japonais
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 ジャンヌ・デュヴァル Jeanne Duval


ボードレールはいかがわしい女の相手をするのが好きだった。好きだったというより、そんな女でなければ心を開いて交わることができなかったというほうが正確だろう。

ボードレールにとって女とは、まず母親だったのだ。この世に生きている女はだから、母親のような女とそれ以外の女とに分類される。母親のような女と交わることはボードレールにとっては近親相姦のようなものだ。勢い、良心の邪魔立てを蒙らずに快楽の相手をしてくれる女は娼婦でなければならなかったというわけだ。

ボードレールの女遍歴は早い。彼はまだ十代の学生の頃、ユダヤ人の若い娼婦サラと寝た。やぶにらみの目をしていることから「やぶにらみちゃん」というあだ名のあった女で、この女から淋病を移されている。困った彼は義理の兄のアルフォンスに相談し、その紹介を受けた人物から、バルサム入りのネリ薬を調合してもらった。

ボードレールはなぜこんな病気もちの醜い女と寝る気になったのか。それはこの女が自分の母親とは対極にあったからだ。こんな醜い女なら、母親のことを意識しないで快楽にふけることが出来る。それに堕落にはなんともいわれぬ陶酔感が伴っている。醜悪さと官能が結びつくところに、世間の人々が思いもよらぬ開放感が得られるのだ。

南洋への航海から舞い戻ってすぐ、ボードレールは黒人との混血女ジャンヌ・デュヴァルと出会うのだが、それに前後して梅毒を移されている。どうもジャンヌ以外の女からもらったらしい。ボードレールは無論困惑したが、反面そのことを誇らしくも思った。梅毒にかかるということは当時男であることの勲章のように思われていたし、梅毒から立ち直った男は絶倫な勢力を獲得するとも考えられていたからだ。

当時梅毒は深刻な感染症ではなく、ありきたりの性病であり、水銀入りの丸薬とヨウ化カリウムを服用すれば直るだろうと考えられていた。ボードレール自身もそのように考え、事態を深刻には受け取らなかった。きちんとした治療をしなかったことが、彼の短命の一因となったことは疑い得ない。

ジャンヌ・デュヴァルの名がボードレールの書いたものの中に初めて登場するのは、1843年10月に母親に当てた手紙の中である。それによればジャンヌはパリの街中のアパートに母親と一緒に住んでいるということになっていた。やがてボードレールはこの女と同棲するようになり、その共同生活の中から「悪の華」の諸篇を飾るさまざまな詩想を得るようになる。

ジャンヌもまたボードレールの母親とはまったく異なる存在だった。母親が雪のように白い肌をしているのに対して、ジャンヌは黒い肌だ。気質も母親とは正反対で、悪魔を前にしているような気分になれる。ボードレールはこの女を相手にしているとき、母親というものを忘れて背徳的な快楽にふけることが出来た。

ジャンヌとの共同生活は1852年まで続く。その間ジャンヌは他の男と寝たこともあり、ボードレールのほうも浮気を欠かさなかったようだが、ボードレールのジャンヌへの愛はかなり深いものだった。ボードレールは24歳のときに自殺の茶番劇を演じるが、その際に後見人のアンセルにあてた遺書の中で、自分の遺産をジャンヌに与えるよう要求している。

ジャンヌと別れたあと、ボードレールはサバティエ夫人、マリー・ドーブランを相手にひと時の恋のアヴァンチュールを楽しむ。だがそれらがうまくいかず、当面の恋の相手を失ったボードレールは、1855年12月に再びジャンヌと暮らし始める。しかし長続きはせず、翌年の秋には別れた。そのとき母親に当てた手紙の中でボードレールは次のように書いている。

「14年にわたるジャンヌとの関係が切れました。こうした縁切りを避けるべく、人間として可能な限りの手は尽くしました、、、ジャンヌは、、、いつの日か僕自身がこの決定を彼女に感謝するだろうというのです。」(沓掛・中島訳)

どうやらこの別れはボードレールにとって未練の残るものだったらしい。別れを言い出したのはジャンヌのほうだったようだ。

ボードレールのそんな未練を物語る話がある。1859年、おそらく脳血管性の麻痺に襲われたジャンヌは市立施療院で治療を受けていたが、そんなジャンヌの窮状を知ったボードレールは捨てて置けず、なにかと援助をするうちに、またもや元の鞘に納まってしまった。

だがジャンヌは兄と名乗るいかがわしい男を部屋の中に連れ込んだ。おそらく情夫に違いないこの男のことをボードレールは寛大な気持ちで見てやっていたが、やがて耐え切れなくなってジャンヌとの関係を切ることにした。それ以来彼女とは二度と会おうとはしなかったらしい。それでも心の中から完全に忘れてしまったわけではなく、窮状を知るにつけ何かと援助を考えてやるのだった。

1861年、ジャンヌはマネのためにポーズをとった。マネはボードレールとは仲がよかった。この絵を描いたとき、すでにボードレールとジャンヌとの関係は切れていたが、マネはこの女性の中にボードレールの匂いが残っているのを感じて、ボードレールとの友情の記念のために彼女を描いたのだろうと思われる。

「ボードレールの愛人」と題したこの絵の中で、ジャンヌはソファに横たわったまま見物人のほうを見据えている。このときのジャンヌは病気でひどくやつれていたと思われる。絵からもそうした感じが伝わってくるが、彼女の顔はきりりと引き締まり、いかにも気の強そうな様子が見て取れる。

ボードレール自身が描いたデッサンの中では、ジャンヌは鬼気迫る魔女のように描かれている。大きくて鋭い視線の眼、厚ぼったい唇、はちきれそうな胸、引き締まった腰に続く官能的な臀部、いかにも肉体の悪魔といった風情を感じさせるのだ。




  

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