フランス文学と詩の世界
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 人工の天国 :ボードレールの麻薬研究


ボードレールは1858年9月の現代評論誌に「アシーシュの詩」を発表し、1860年1月の同誌に「アヘン吸引者」を発表、同年6月両者をまとめて「人工の天国」Les Paradis Artificiels と題して出版した。ボードレールの麻薬研究ともいうべき問題作である。

内容を読めばわかるとおり、ボードレールは麻薬の効用を積極的に主張しているわけではない。むしろその否定的な影響について、読者に注意を呼びかけているほどだ。かといって全面的にこれを排斥する風でもない。ボードレールは麻薬の価値について自己の判断を中止し、これを読者に預けているようにも聞こえる。

ボードレール自身には、アシーシュにせよアヘンにせよ、麻薬を服用した形跡はない。ただ若い頃にかかった梅毒の影響を和らげようと、効果のいかがわしい民間薬を服用したことはあるようだ。

彼が始めて麻薬と接したのは、1845年の自殺騒ぎ直後のことだったようだ。彼は早速ジャンヌ以外の愛人をこしらえ、そのアパートに足繁く通っていたが、同じアパートに画家のボアサールとその愛人が住んでいた。この二人はアシーシュの常習犯で、自分たちの部屋に客を招いてはアシーシュの狂宴を催していた。ボードレールはその現場に何度か立ち会ったことがあるのだ。

ボードレールはここでテオフィル・ゴーティエやバルザックの姿を見かけた。ゴーティエは普段から陽気なたちだったが、アシーシュを飲むといっそう陽気になった。バルザックのほうは、ひたすらハシーシュのもたらす快感に没頭し、他人とかかわろうとはしない様子にみえたという。

ボードレール自身は進められても服用しようとはせず、ただ彼らの様子を外側から眺めていただけだったようだ。彼はこの薬物が自分の精神状態に悪い影響を及ぼすかもしれないと、本能的に身構えたのだと思われる。

ともあれこのときの見聞が後のアシーシュ研究に結びついていることはたしかなようだ。彼は「人工の天国」の中でアシーシュを緑色のジャムといっているが、それはボアサールの部屋で出されたものと形状がまったく同じなのである。

ボードレールがアシーシュの効果を紹介する仕方は念が入ったものだ。彼はその効果を時間と服用する人物の身体的・精神的状態に応じて、段階的に描写している。最初の効果は次のようなものだ。

「アシーシュの引き起こす感覚の中でかなり大きな位置を占めるのは、心優しさである。神経の緊張が緩んだために起こる、柔らかく、ゆったりした、黙々とした心優しさだ。」(安東次男訳、以下同じ)

アシーシュはいまだに一部の人間の中では、アヘンのような害毒は持たず、反面精神に及ぼす影響もモデレートなものだとする噂が出回っている、それは服用する量が少量にとどまっている場合だけだ。だがアシーシュは服用を続けると、次第に穏やかならざる効果を及ぼすようになる。

「子供らしい陽気さという最初の段階が終わると、一時的な沈静のごとき状態になる。だが程なく、手足の先のひんやりとした感じや、手足全体の力が抜け切った感じで、またなにかが起こるということがわかる。それから、手がバターで出来ているような感じになり、頭や、身体全体に、どうしようもない麻痺感や昏迷感が生まれる。眼は大きく見開かれ、執拗に続く恍惚感によって四方八方に引っ張られたようになる。顔は蒼白に染められる。唇は縮んで、口の中に引っ込んでゆき、息遣いが早くなってくるが、これは、大計画に夢中になって壮大な考えに胸もつまる思いをしている人間や、飛び上がろうとして息を抑えている人間の、野心的な精神状態を示す特色である。」

こんな精神状態を、普通の人ならどのように受け止めるだろうか、ボードレールはそういいたいようだ。しかしこれが麻薬に共通した効果だ。麻薬にのめりこんでいく人は、ある一線を越して自分が異様な体験をし、それがたまたま心地よいと感じたとき、そのとりことなって、常習者に陥る。その先に待っているのは、深刻な中毒症状であり、麻薬に毒されたものはやがて、身体的な破滅とともに精神的な破滅にも直面することとなる。

「たったいままでは自由だった理性が、奴隷に成り下がる。しかし、外界や偶然の状況に左右されその命ずるがままになる観念のつながりにまことに相応しい脈絡のないという言葉は、アシーシュの場合によりいっそう強くより恐ろしい真実性をもつものである。・・・アシーシュはその場で生ずる効果ではアヘンよりもはるかに激烈で、規則的な生活を妨げる度合いもはるかに強い。つまり一言で言えば人を惑乱させるものだ。・・・一方は静かな誘惑者だが、他方は過激な悪魔である。」

ここまで読んできた読者は、麻薬についての経験をこんな風にあからさまに語れるのであるから、ボードレール自身もそれを、身をもって体験したのではないかと思われるだろう。だが先にも述べたとおり、ボードレールは麻薬の魅力におぼれることは決してなかったといえる。

「アヘン吸引者」はイギリスの文学者トマス・デクィンシーの告白録を紹介したものだ。デクインシーは自身のアヘン体験記を著作にし、その中で自分が何故アヘンにおぼれるようになったか、またその結果どのような運命が自分を訪れたかについて、赤裸々に語っている。ボードレールはそれを紹介する形でアヘンの効果について語ったのである。

だがアヘンを紹介するボードレールは、アシーシュの場合のようには歯切れがよくない。それは他人の体験をそのままよりどころとして、自身では直接体験したことがなかったことの証拠とも取れる。ボードレールはこの文章の中で、もっぱらデクインシーをして語らせるにとどまり、自分の意見をさしはさむことについては、抑制的な姿勢に徹している。




  

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