フランス文学と詩の世界
Poesie Francaise traduite vers le Japonais
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レミ・ド・グールモンの生涯と作品


レミ・ド・グールモン Remy de Gourmont (1858-1915) はフランスのサンボリストを代表する作家の一人である。日本では詩人として知られているが、フランスにおいては生前より幅広い評論活動によって知られ、その独特の美学は、エズラ・パウンド Ezra Pound やエリオット T.S.Eliot など、英語圏の作家によって高く評価された。オールダス・ハックスレイ Aldous Huxley はグールモンの評論を英語に翻訳して紹介している。

レミ・ド・グールモンはノルマンディー地方の貴族の家に生まれた。母方の先祖には詩人のフランソア・ド・マレルブ Francois de Malherbe がいる。カーンの大学で法律を学んだ後パリへ出、国立図書館に勤務したが、仕事に情熱を感ずることはできなかった。そのかわり、蔵書を次々と読み込むうち、次第に文芸に興味を抱くようになり、読書の批評を様々な雑誌に発表するようになる。1892年に発表した「神秘のラテン」 Le Latin Mystique は最初の本格的な文芸批評であった。

1890年にはサンボリストたちとともに雑誌「メルキュール・ド・フランス」 Mercure de France を創刊し、そこを拠点に旺盛な創作活動をする。1891年にはそれに、Le Joujou Patriotism という論文を発表したが、これが大きなスキャンダルに発展した。グールモンはこの論文で、フランス人の愛国主義を矮小なショーヴィニズムだと批判し、ドイツとの融和を説いたのだが、それが右派からの集中攻撃の対象となり、グールモンは職を失うことになったのである。

失職後のグールモンはもっぱら執筆活動に従事し、定職につくことは二度となかった。それには健康状態の悪化も作用していた。彼は結核性の潰瘍をわずらい、そのために顔が醜悪な表情になってしまったために、人前に出ることをためらったのだといわれる。もともと貴族の出であった彼には、あくせくと働く必要がなかったからだろう

自分の顔の醜さに深いコンプレックスを抱くに至ったらしいグールモンは、男女の恋愛をおおらかに受け取ることが出来なくなったようだ。人間の愛は所詮肉の結びつきに過ぎないのであり、その点で動物たちの愛と何ら異なることはないというのが、彼の心情だったのである。

こうした考えは、同性愛者であり愛の持つ崇高な精神性にこだわったアンドレ・ジード Andre Gide を憤慨させた。ジードはグールモンのことを、「もっとも忌むべき人物」と評している。

グールモンはまた、サンボリストとしての立場から、エミール・ゾラ Emil Zolaら自然主義の文学者たちとも激しい応酬をした。1898年に発表した The Book of Masks では、自然主義を排して、観念を重んじるサンボリズムの立場を強く打ち出した。

彼には1880年代の初めから同棲していたベルト・クリエールという女性がいたが、晩年にはアメリカの作家でレズビアンのナタリー・バーニーと付き合うようになった。彼はナタリーをアマゾネスと呼び、文通を交わした。その成果は「アマゾネスへの手紙」と題して後に出版されている。

詩人としてのレミ・ド・グールモンの代表作には、Litanies de la Rose(1892), Les Saintes du Paradis(1898), Simone(1901), Divertissements(1912) などがある。
  




  

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