フランス文学と詩の世界
Poesie Francaise traduite vers le Japonais
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通りすがりの女へ(ボードレール:悪の華)


通りすがりの女へ

  街の喧騒が余の周りを渦巻く中
  長身で痩せた一人の女が通りすぎた
  喪服につつまれ 悲しみの表情をたたえ
  華奢な手で スカートの裾を直しながら

  敏捷で高貴で 彫像のような脚
  余は思わず曲芸師のように身をよじり
  嵐をはらんだ青白い空のような彼女の目から
  甘い魅惑と残忍な愉悦を飲み込んだ

  だがそれもつかの間、一瞬後には夜となった
  消えゆく美よ 汝の流し目は余を生き返らせた
  汝と再び会えるのは果たしていつのことだろうか

  いやいやもう手遅れだ おそらく二度とは会えないだろう
  余は汝の行き先を知らず 汝も余の行方を知らぬ
  愛しあえたかも知れない人よ 知らぬ顔に去った人よ  
  

近代の大都市に、大衆という名の、しかも一人一人は名を持たない人間の集団が生じ、それが社会の動きに不気味な影響を及ぼすということが問題にされたのは、20世紀に入ってからだ。オルテガ・イ・ガセットがこの大衆の行動を分析した「大衆の反逆」を著したのは1930年のことである。

大衆の特性は、匿名性と事態に対する情動的な反応である。オルテガ・イ・ガセットはそこに、社会を脅かす不気味な動きを感じた。彼の不安を裏付けるように、ナチズムやファシズムはこうした大衆の登場とその不合理な社会的な行動様式に支えられて成り立ったものといえなくもないのである。

それ以来、大衆の概念は、社会学におけるもっとも重要なキーワードとなる。

だがすでに19世紀中に、この大衆に着目していたものがいた。ボードレールがそれである。ボードレールが生きていた19世紀後半のパリは、世界の首都といわれるに相応しく、時代の先端を走っていた。そこには近代の世界を彩るあらゆる動きが、凝縮された形で噴出していた。大衆の登場もまず、19世紀後半のパリにおいて始まったといえるのである。

ボードレールはこの詩において、大衆をもっともよく特徴付ける匿名性というものについて、動物的な臭覚をもって、感じ取っている。通りすがりの者どおしの、起こりえたかもしれないアヴァンチュールをとりあげるなど、ボードレール以前には考えられなかったことだ。






À une passante - Charles Baudelaire

  La rue assourdissante autour de moi hurlait.
  Longue, mince, en grand deuil, douleur majestueuse,
  Une femme passa, d'une main fastueuse
  Soulevant, balançant le feston et l'ourlet;

  Agile et noble, avec sa jambe de statue.
  Moi, je buvais, crispé comme un extravagant,
  Dans son oeil, ciel livide où germe l'ouragan,
  La douceur qui fascine et le plaisir qui tue.

  Un éclair... puis la nuit! — Fugitive beauté
  Dont le regard m'a fait soudainement renaître,
  Ne te verrai-je plus que dans l'éternité?

  Ailleurs, bien loin d'ici! trop tard! jamais peut-être!
  Car j'ignore où tu fuis, tu ne sais où je vais,
  Ô toi que j'eusse aimée, ô toi qui le savais!

  

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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2007
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