フランス文学と詩の世界
Poesie Francaise traduite vers le Japonais
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アンリ・トロワイアのボードレール伝


アンリ・トロワイアのボードレール伝(沓掛良彦・中島淑恵訳、水声社刊)を読んだ。トロワイアはフランスの伝記作者で、バルザック伝やドストエフスキー伝が邦訳されている。作家でもあるこの人の評伝は、ありきたりの伝記とは異なり、読み物としても面白い。ボードレールについても、残された膨大な手紙を豊富に引用しながら、ボードレールといういわば神格的な詩人の闇の顔を明るみに照らし出すことに成功している。

トロワイアの描き出したボードレール像は、手短にいえば徹頭徹尾反社会的な人間だったということになろう。彼は生涯を通じて社会と一線を画し、自分を取り巻く人々と打ち解けあうことがなかった。唯一の例外は自分の母親で、死ぬまで精神的にも物質的にも寄りかかり、母親に心労をかけることが唯一の生きがいとでもいうように、母親にまとわり続けた。ボードレールは深刻なマザーコンプレックスに駆り立てられていたというのが、トロワイアの結論のようなのである。

反社会性という面では、彼は社会を忌避して自分の中に閉じこもるというよりは、社会に対して常に攻撃的な態度をとり続けた。その裏には自己に対する確固とした信念があり、彼に社会が気に入らないのは、社会の水準が自分の尺度に達していないからなのだった。彼は自分の力に酔いしれたナルシストであり、他人を常に罵倒してやまぬエゴイストなのであった。

トロワイアはボードレールのこうした性格の起源を、その生い立ちの中に求めている。

ボードレールの父親は60を過ぎて35歳も年下の女性と結婚し、ボードレールが7歳のときに死んだ。そして父親が死ぬとすぐに、母親は他の男と再婚した。再婚したときにはすでにその男の子を妊娠していたらしいから、母親は夫たるボードレールの父親を心から愛していなかったのかもしれない。

母親の再婚相手は四歳年上で、オーピックという名の職業軍人だった。後にトルコ大使やスペイン大使も勤め、社会的には輝かしい成功を収めた人間である。だがこの義父はボードレールの芸術家気質とは全く相容れなかった。そのうえボードレールにとって許しがたいことに、母親を独占して自分を愛する母親から引き離す憎むべき存在となったのだった。

ボードレールは母親とその新しい夫の庇護を受けて少年時代から思春期にかけてのむつかしい時期を過ごした。少年時代の彼はまともに勉強せず、いつも義父を怒らせていた。その上生涯を通じての悪癖となる金銭の浪費が家族を心配させた。ボードレールは実の父親が残したかなりな財産をひとりで相続し、金はいくら使ってもなくなるものではないと錯覚していたようなのだ。

ボードレールの無軌道振りを心配した義父は、修行させるためにインドの友人のところに預けることにした。そこで社会性を身につけさせようとしたのである。だがボードレールはインドに着かないうちに強烈なホームシックに罹り、途中で航海を引き上げてパリに戻ってきてしまった。

やがて成年年齢に達したボードレールは父親の残した遺産をすさまじい勢いで浪費し始めた。母親の目にもボードレールの浪費癖は穴の開いた籠のように見えた。そこで義父オーピックの主導のもとで、ボードレールは禁治産者として登録され、以後法廷後見人の許可なしには、一銭も支出できないようにされてしまった。

ボードレールは生涯を通じて自分で金を稼いだことがない。出版した本や雑誌への投稿から得た報酬は、ボードレール自身が認めているように、煙草銭にもならなかった。彼は一生を通じて父親の遺産と母親への無心にたよって暮らしたのである。

そんな彼は、以後金のことで始終いらいらさせられるようになる。財布の紐は後見人のアンセルが握っているし、母親もいつも自分の無心を聞いてくれるわけではなかった。それでもボードレールは生涯にわたって並外れた浪費を続け、そのたびに母親を嘆かせたのだった。

文学的な営為やその背後にある女性関係については別稿で述べるとして、ここではボードレールの母親との関係について引き続き述べよう。

1957年、ボードレールにとって仇敵だったオーピックが68歳で死んだ。ボードレールにとっては人生の転機となるべき出来事だった。これで自分と母親を隔てていた憎むべき敵がいなくなり、小さな子供の頃のように母親を独占することが出来る。実際ボードレールは以後1964年に死ぬまで、寡婦となった母親に幼い子供のように甘え続けたのだ。

母親はオーピックの残した遺産のかなりの部分をさいて息子に与えた。オーピックはオーピック並みにかなりの財産を溜め込んでいたのだった。

それでもいつも気前よくというわけではなかった。そんな母親にボードレールは、精一杯甘えると見せかけて母性本能に訴える一方、母親が意のままにならないときは恫喝のようなことを仕掛けて母親から金をせびり取るのだった。

ボードレールは45歳の若さで、それまでの放蕩振りがたたり、脳溢血で倒れた、それがもとで46歳で死んだ。死の床についたボードレールに、母親は最後まで付き添って面倒を見続けたのだった。

ボードレール母子の倒錯的な関係について、息子のマザーコンプレックスが息子からの一方的な思いに発したものではなく、母親もそれに手を貸すことで母子の絆を深めようとした結果だと、トロワイアは見ている。つまり彼らの倒錯的でかつ親密な母子関係は、二人の共同謀議だったというわけである。

最後に、この詩人が母親について歌った詩を紹介しておこう。「悪の華」の冒頭に続く「祝福」という詩の一節だ。

  至高の神の意思によって
  詩人がこの世に生まれ出たとき
  母親は恐れと涜神の念にとらわれる余り
  拳を振り上げて神を罵ったのだった

  「ああ こんな出来損ないを生むのだったら
  むしろマムシの子を産んだほうがよかった
  これもかりそめの快楽におぼれた罰
  そのおかげでこんなハメになったのだわ

  神よ なぜよりにもよってわたしを選び
  亭主に憎ませるようしかけたのですか
  このひねこびた怪物を 恋文を捨てるように
  燃え盛る火の中に放り投げてしまいたい

  わたしを打ちひしぐあなたの憎しみを跳ね返して
  このろくでもない餓鬼にぶつけてやりたい
  そしてこのいやらしい若芽が伸びないように
  いまのうちにひねりつぶしてやりたい」

  こうして母親は憎しみのつばを飲み込むと
  母親に課せられた神の摂理などなんのその
  手づからゲヘナの谷の奥底に
  子殺しの罪の薪を積み上げるのだ

ろくでもない餓鬼が罪深い母親に寄せるすさまじい思いが、ひしひしと伝わってくるではないか。





Benediction : Baudelaire

  Lorsque, par un decret des puissances supremes,
  Le Poete apparait en ce monde ennuye,
  Sa mere epouvantee et pleine de blasphemes
  Crispe ses poings vers Dieu, qui la prend en pitie:

  -- ≪Ah! que n'ai-je mis bas tout un noeud de viperes,
  Plutot que de nourrir cette derision!
  Maudite soit la nuit aux plaisirs ephemeres
  Ou mon ventre a concu mon expiation!

  Puisque tu m'as choisie entre toutes les femmes
  Pour etre le degout de mon triste mari,
  Et que je ne puis pas rejeter dans les flammes,
  Comme un billet d'amour, ce monstre rabougri,

  Je ferai rejaillir ta haine qui m'accable
  Sur l'instrument maudit de tes mechancetes,
  Et je tordrai si bien cet arbre miserable,
  Qu'il ne pourra pousser ses boutons empestes!≫

  Elle ravale ainsi l'ecume de sa haine,
  Et, ne comprenant pas les desseins eternels,
  Elle-meme prepare au fond de la Gehenne
  Les buchers consacres aux crimes maternels.

  

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