フランス文学と詩の世界
Poesie Francaise traduite vers le Japonais
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 ボードレールのマルスリーヌ・デボルド=ヴァルモール論


ボードレールの個人的な敵であったジャック・クレペが、1862年にフランス詩人の膨大なアンソロジーを出版することにした。この事業にどういうわけかボードレールも参加することになった。各詩人たちの詩の冒頭に、詩人に関する全般的な序文を書くよう要請されたのである。

なにせこの種の試みとしては画期的なものだった。すでに歴史的な評価の定まった詩人たちを除けば、このアンソロジーに入るか入らないかは、重大な関心事でありえたのだ。そんななかでボードレールは7人の詩人たちを受け持つこととなった。ヴィクトル・ユーゴー、マルスリーヌ・デボルド=ヴァルモール、テオフィル・ゴーティエ、テオドル・ド・バンヴィル、ピエール・デュポン、ルコント・ド・リール、ギュスターヴ・ル・ヴァヴァッスールだ。

マルスリーヌ・デボルド=ヴァルモール Marceline Desbordes Valmore は、女優かつ詩人として活躍した女性だが、1859年に死んでいて、すでに忘れられた存在だった。それをあえてボードレールは取り上げたのだ。ヴァルモールはその後、ヴェルレーヌの「呪われた詩人たち」の中でも取り上げられ、そのことによって文学史上に確固たる地位を占めるようになる。

ボードレールがマルスリーヌ・デボルド=ヴァルモールの詩人としての美質とするものは、その女らしさである。ボードレールはいう、今日の女性たちはみな、女を奇形化する男性的滑稽さに汚されている。たとえば「博愛主義の女流作家、恋愛の紋切り型の女司祭、共和党の女流詩人、フーリエ主義者かサンシモン主義の、未来を理想化する女詩人」(高島正明訳、以下同じ)である。この中にはボードレールが嫌悪していたジョルジュ・サンドも含まれていた。これに対すれば、

「デボルド=ヴァルモール夫人は女であった。常に女であったし、断じて女でしかなかった。しかも彼女は、驚くべきほどまで、女のあらゆる飾らぬ美しさの詩的表現であった。たとえば彼女が、乙女の心に潜む悩ましい欲望や、捨てられたひとりの女アリアーヌの陰鬱な嘆きや、母性愛のもの狂わしい情熱を歌うときでも、彼女の歌はいつも女の甘美な調子をなくさないでいる。」

女の女らしい所以は自然さであり、飾らぬ美しさである。マルスリーヌほどそれを体現しているものはない、とボードレールはいう。

「かつていかなる詩人も、これほどには自然でありえなかった。またなんびとも、これ以上に人工的でないことはなかった。だれもこの魅力を真似することはできなかった。というのは、それはまったく独特でうまれつきのものだからだ。」

ボードレールはさらに続けて言う。彼女の一冊の詩集はまるで庭園を想起させる、それはフランス式やイタリア式の人工的に配置された庭ではなく、イギリス式の素朴な庭園なのだと。この素朴な庭園を歩んでいるとき、ひとびとは花の茂みや池の水面を見てほっとした気持ちになり、また小道の彼方に広がる大空を見て、思わず心をかき回され涙を流す。それらの感情はどれも、彼女の詩がもたらす自然さの賜物なのだと。

この詩集は結構成功を収めたようだ。ところがボードレールは報酬を受け取るばかりか、本を受け取ることさえできなかった。そこでクレペに催促したところ、前に貸した金がまだ返されていないといって、要求を拒まれたというのだ。

世界の文学史にはこういう変わったことも起きたのだった。




  

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