フランス文学と詩の世界
Poesie Francaise traduite vers le Japonais
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 ブリア・サヴァランの美味礼賛:ボードレールとワイン


フランスの料理研究家(本来の姿は政治家だが)ブリア・サヴァランについは、その著書「美味礼賛」(原題は味覚の生理学)が日本語に訳されて、岩波文庫にも収められているから、読んだ人も多いことだろう。ボードレールもこの著作を読んだことがあるらしく、自分の論文の中で言及している。もっとも否定的な評価ではあるが。

ボードレールがブリア・サヴァランに言及しているのは、「ワインとアシーシュの比較」と題する小論の中においてである。この小論は「人工の天国」に納められた諸研究の姉妹編というべきものだが、なぜかその本に納められることがなかった。

この小論はアシーシュやアヘンと同一の平面において、ワインの効用を論じたものである。ボードレールにとってはワインもまた、アシーシュやアヘンと同様、精神の高揚をもたらす不思議な物質であったのだ。

高名な料理研究科がワインについて解説しているというので、ボードレールは自分の研究にも何か裨益するものがあるのではないかと期待し、胸を躍らせながらひもといてみたのだろう。ところがどうだ。その文章はボードレールの期待を大きく裏切った。一読したボードレールは彼特有の癇癪玉を破裂させるのだ。

「たいへん著名で、同時に大ばか者だった男が、――この二者はきわめてうまく両立するものらしく、今度私はそれを証明するというつらい快楽を一度ならず味わうことになろうがーー衛生と快楽という二重の見地から編まれた食卓にかんする一書物の中で、ワインの項目に、次のようなことを臆面もなく記したものである。<長老ノアはワインの創始者とされているが、ワインとは葡萄の実から作られた液体である。>

「その後は?その後には何も書いていない。これで全部である。頁を捲ってみても、あらゆる方向にひっくり返してみても、さかさまに、裏返しに、あるいは右から左、左から右へと読んでみても、無駄であろう。高名かつ尊敬されること並ぶ者のないブリア・サヴァランの「味覚の生理学」の中には、ワインに関して、長老ノア云々と、液体云々のほかには、何ひとつ見つかるまい。」(安東次男訳、以下同じ)

つまり、この高名な料理研究家は、食材やその調理の仕方については饒舌であっても、ワインについてはまったく無知に近いことがわかっただけなのだった。

ボードレールは改めて思うのだ。食の快楽にはワインが付き物ではないか。ワインを飲むことによってこそ料理も始めて引き立つのだ。ワインが伴わない食事など、獣の捕食となんら異なることはない。それなのにこの高名な料理研究家は、ワインについて何もわかっていない。いったいどんな舌を垂らし、どんな味覚を持っているというのか。

「ああ、親愛なる諸君、ブリア・サヴァランを読むべからず。神はその愛する子らを無益な読者から護りたまう。」

こんなわけで、ボードレールはこの高名でかつ大ばか者の料理研究家のことを脇へ追いやって、ワインが我々人類にとっていかに重要で、いかに我々人類の生きる喜びを演出してくれるかについて、深い思索をめぐらすのだ。

「ワインのつきぬ喜びを知らなかった人がいようか。後悔を鎮め、思い出を呼び覚まし、苦悩を紛らせ、そして空中楼閣を築きたいと望んだ誰もが、要するにすべての人々が、葡萄の繊維の中に隠れている不思議な神であるお前を呼び求めたのである。ワインが与える光景は、内なる太陽に照らされて、何と大きなことか。人間がワインから汲むこの第二の青春は、何と真実で燃え立つことだろう。しかし、その雷撃のような魅力の数々は、また何と恐るべきものか。」

この後ボードレールは、ワインが悠久の昔から人類に計り知れない功徳をもたらしてきたことを延々と述べる。またその作用の中には、人間の精神を高揚させる特別の要素があることを熱っぽく語る。そしてその効用がアシーシュのそれに匹敵することを強調しながら、たとえ人間を酩酊の深みに引きずり込むことはあっても、アシーシュとは異なり悪質な影響を及ぼすことがないのだと強調している。

ボードレールはワインをテーマにした詩を多く作った。「悪の華」の中に収められたそれら詩篇の一部は筆者のブログでも、拙訳を載せて解説を加えているので、読者にも暇があったら読んでいただきたい。

ボードレールはこの小論でも自分の詩の一部を引用しながら、ワインの功罪について、滔滔と語ってやまないのである。




  

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