フランス文学と詩の世界 |
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哀れなベルギー:ボードレールのベルギー嫌い |
ボードレールは1864年の4月にベルギーのブリュッセルを訪れた。はじめはごく短期の予定だったが、滞在は長引き、1966年の7月に病気治療のためパリに連れ戻されるまで、実に2年以上に及んだ。長引いた理由はあまり明らかでない。パリに幻滅するあまりもう戻りたくなかったというのがひとつの理由だった。 少なくともベルギーが気に入ったということではない。それどころかベルギーはボードレールを軽蔑させることはあっても、決して好きにはなれなかった。ボードレールはベルギー滞在中に「哀れなベルギー」と題する覚書を書き綴っているが、それはベルギーに対する侮蔑と憐憫の言葉であふれかえっている。 ボードレールはこの覚書をもとに、本格的なベルギー論を書くつもりでいたらしい。ブリュッセルのほかに地方都市まで取材して、ベルギーを多角的に眺め渡している。もしその試みが実現していたら、ボードレールはいやでもベルギーを追い出されていただろう。それほどベルギーとそこに暮らす人々を馬鹿にした内容なのだ。 「フランスは、近くでみれば、たいそう野蛮な様子をしている。だが、ベルギーへ行ってみたまえ、君たちは自分の国に対してそんなに厳しくはなくなるだろう。」(阿部良雄訳、以下同じ) ボードレールはこのかなり長い覚書をこんな言葉で始める。彼にとって祖国であるフランスは、自分にとって決していい国ではなく、それどころか彼はそこに居心地よい場所さえ見つけることができなかったのだが、ベルギーのひどさに比べれば、まだ許せるというのだ。 ベルギーがなぜそんなにひどいのか、風俗や人間たちの暮らしざまを追いながら、逐次その理由をあげつらっている。 「生活の全般的な味のなさ。葉巻、野菜、花、果物、料理、眼、髪、すべて味がなく、すべて陰気で、気の抜けたようで、眠り込んでいる。人間の表情も、漠然として、陰鬱で、眠り込んだよう。この昏睡性の伝染に対してフランス人の抱かずにいられぬ、ぞっとする恐怖。犬たちだけが生き生きとしている。」 「あらゆるベルギー人たちの頭蓋は、例外なく空である。 愚かさにぽかんと開いた便所口ばかり。 ぽかんと開いた下水だめ。 ぶさいくな口。 未完成の顔。」 「ブリュッセルはせむしの国、くる病の領分だ。 ベルギー人は歩き方を知らない。彼らは脚と腕で全街路を埋めてしまう。わずかの柔軟さの持ち合わせもないので、脇へよって人を通したりすることもできない。鈍重に障害物にぶつかるのである。」 「女というものは存在しない。こけしみたいな汚い顔色。それに、ここの女は愛撫になれていないので、男の気に入るすべを知らぬ。ここには雌と雄がいるだけだ。」 「ベルギー人の性格を定義することは、諸生物の序列の中にベルギー人の位置を定めることと同様に難しい。彼らは猿であるが、軟体動物でもある。」 まさに念のいった悪口雑言というべきである。当のベルギー人が読んだら、怒り心頭になるところだろう。便所の落書きにも劣るようなこんな罵り言葉が延々と続くのである。 ボードレールがベルギーに来た直接の目的は、ブリュッセルの聴衆を相手に講演をすることだった。ボードレールはこの講演を三回にわたって催したが、どれも成功とはいえなかった。彼は多くの聴衆を前に話すことには慣れていなかったからだ。最後の講演の時には集まった人の数はごくわずかで、それも話の内容に飽きて途中でいなくなってしまうという有様だった。このため講演の主催者は、不成功に終わったことを理由にして、当初約束していた500フランの講演料を100フランに値切ったほどだ。 これがボードレールとベルギーとの不幸な出会いだった。かれはベルギーでの生活でこうむった様々な不愉快な出来事の原因を、ベルギー人全体の責任にしてしまったのだ。 こんな調子で常にベルギー人を罵りながら、ボードレールはベルギーでの生活を続けた。それはボードレールにとって惨憺たるものだった。その結果彼は、ベルギーが一種の地獄に違いないという確信を強めるに到った。 「ベルギーとはおそらく、天地の間に散布された段階の違う諸地獄の一つであり、ベルギー人とは、キルヒャーがある種の動物について考えたように、醜怪な肉体の中に閉じ込められた卑劣な魂である。 罪を犯したがためにベルギー人になる。 ベルギーはわれとわが身の地獄である。」 |
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