フランス文学と詩の世界 |
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ジャン・コクトーの八つの歌 |
ジャン・コクトーは非常に多才な人であった。日本では、「美女と野獣」とか「オルフェ」といった映画の監督としてのイメージが強いが、本人は詩人と呼ばれることを喜んだ。実際コクトーは詩人として生涯のキャリアを開始したのである。かれが処女詩集の「アラジンのランプ」を出版したのは二十歳の時であった。 だがジャン・コクトーは、詩人の枠に自分を閉じ込めることを潔しとしなかった。演劇や小説のほか評論活動も活発に行い、また、モディリアーニの有名な肖像画のモデルになるなど、美術界とのつながりも深かった。かれはそうした多彩な活動を、様々な分野のプロたちとの親密な人間関係をつくることを手掛かりにして展開した。かれの交友範囲は非常に広く、その中には、シャンソンの女王と呼ばれたエディット・ピアフもいた。ピアフが病気で死んだとき、彼女の死をもっとも深く悲しんだのはコクトーだったといわれる。 ジャン・コクトーの詩作品は、これも非常に多彩であるが、その中に「ジャン・コクトーの八つの歌」と称されるものがある。これはコクトー自身の選ではなく、作曲家のオーリックが自作の音楽作品の歌詞として、コクトーの詩の中から選んだものだ。曲をつけることを前提に選ばれているので、いずれも音楽的なイメージに満ちている。ここでは、その八つの歌のそれぞれを、小生の拙訳をもとに鑑賞してみたいと思う。 エリック・サティへのオマージュ(Hommage à Eric Satie):コクトーの八つの歌 目覚め(Réveil):コクトーの八つの歌 仕官学校(École de guerre):コクトーの八つの歌 アグラエ(Aglaé):コクトーの八つの歌 アンヴァリード広場(Place des Invalides):コクトーの八つの歌 マリー・ローランサン(Marie Laurencin):コクトーの八つの歌 複葉機 朝(Biplan le matin):コクトーの八つの歌 アンリ・ルソーの肖像(Portrait d'Henri Rousseau):コクトーの八つの歌 |
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