フランス文学と詩の世界
Poesie Francaise traduite vers le Japonais
HOME本館ブログ東京を描く英文学哲学万葉集漢詩プロフィール掲示板| サイトマップ




カーニバルの祝祭空間:ガルガンチュアとパンタグリュエル

 
ラブレーの作品世界を特徴付けている最大のものは、祝祭性である。ガルガンチュアとパンタグリュエルのいくところ、至る所にカーニバルの祝祭的空間が広がり、道化や、洒落のめしや、遊戯や、権威のひっくり返しや、ありとあらゆる滑稽な見世物があり、しかもそれらは笑いで満ち満ちている。

カーニバル的な祝祭は、現代の世界に生きる我々にとっては、局地的に催される、なかば観光化した、商業主義的なお祭に矮小化されてしまったが、中世のヨーロッパにおいては、民衆の生活に溶け込んだものであり、いわば第二の生活であった。ミハイル・バフチーンはそれを、「笑いの原理によって組織された、民衆の祝祭の生活」であったといっている。

実際、中世ヨーロッパの民衆生活においては、祝祭のもつ比重は高かったのである。カーニバルのほかにも、愚者の祭や、ロバの祭り、また復活祭の祭りなど、季節ごとに様々な祝祭が催されていた。民衆はそれらの祝祭を、ただに見るのではなく、自分自身が参加してドンチャン騒ぎを演じた。そうすることによって、古く過ぎ去ったものの死と、新たなものへの再生を経験し、生きるための力の源泉を得ていたのである。

ラブレーの生きたルネッサンスの時期は、中世の生活を彩った様々な祝祭がカーニバルの中に統一され、民衆生活の中でのカーニバルの意義が最も高まった時代だったと、バフチーンはいう。「ルネッサンス、それは、いわば、意識、世界観、文学の直接的なカーニバル化である。」

バフチーンは、ラブレーの数あるカーニバル的な部分から、第四之書のエピソードを取り上げている。

第十二章「パンタグリュエルが代理委任島へ渡ったこと、並びに法印族の奇怪な生活」のなかには、殴られ屋の法印族が、殴られることによって生活を成り立たせていることをたてに、彼らを散々に打ちのめす場面が出てくる。

当時婚礼の宴においては互いにこぶしで殴りあう風習があった。そこで、法印族がやってくると、偽の結婚式が始まる。そして慣わしにしたがって、お互いに拳骨のご馳走をしあうのである。

「いざ法印族の番が来ますと、皆は籠手を振り上げて、おめでとうござると、ぽかぽか殴りつけてしまいましたので、法印族は、片目には、腐った黒バターでも塗りこくられたように隈ができ、肋骨は八本へし折られ、胸骨はぐしゃぐしゃに潰され、肩甲骨は四つに割られ、下顎は三つに裂かれてぱくぱくになり、傷だらけになって失神してしまいましたが、何もかもフザケ気分で、わあわあ笑いながら行われたのですよ」(渡辺一夫訳)

これは、儀式の中に自由と無遠慮が混在するさまを描いているのだが、それはとりもなおさず、カーニバル的な儀式に通じると、バフチーンはいう。

また、四日後に起きたこととして、第十四章は同じような偽の婚礼を描いている。この婚礼には、「茶番狂言の役者一同」が加わり、法印族を交えた笑いの劇を演ずるのである。ぶどう酒や菓子の類が運ばれてくる中、例の殴り合いが始まる。

「そして(ウダール)はこの法印族め、ぽかぽか、この法印族め、どかどかと、殴り出しましたが四方八方からも、こんこんに張り切った籠手が、法印族に雨霰と降り注ぎました。“めでたい嫁取り!(と一同は叫びました)めでたや嫁入り!めでたや!めでたや!末の世までも忘れまじ!」と。法印族は散々に痛めつけられて口からも、鼻からも耳からも目からも、血がだらだら流れました。その上に、頭も首も背も胸も一切合財がくたくた、がたがた、びりびりにされてしまったのでございますよ。まったく謝肉祭の折のアヴィニョンの若衆たちにしても、この法印族の時以上に、景気のよい音を立てて、殴打遊びをやったことは金輪際ございませんよ。とうとう、奴目は地べたへ倒れてしまいました。皆は、その顔に葡萄酒をぶっかけ、胴着の袖に、黄と緑に染められた見事な布地を縛りつけ、奴の青洟垂らした馬の背に乗せました。」(渡辺一夫訳)

ここに描かれているのは、カーニバル的な肉体の寸断であり、笑いの遊戯である。法印族は打擲されることによって、身体に耐え難い痛みを覚えるのであるが、その痛みは笑いによって帳消しにされる。また、彩り豊かな布にくるまれて馬に乗せられるというイメージは、カーニバルに共通したモック・キングや生贄の象徴でもある。

ここに描かれている打擲は、単に否定的な行為ではない。打擲は性交の隠喩でもある。それは殺すとともに、新しい生を与えるための一撃であり、両面価値的な意味を帯びていた。

続く第十五章では、法印族との偽の婚礼が更に続けられるが、そこでは法印族が花嫁を叩くことになっている。

「花嫁は泣きながら笑い、笑いながら泣いていましたが、それと申すのも法印族が、当たるを幸いとばかりに、ところかまわず殴りつけただけでは満足せずに、花嫁の頭髪をうんとこさ毟り取り、さらにまた、虚をねらって、その陰部“かくしどころ”を、こちょこちょぽんぽんぱんぱんぐりぐりとやっつけたからなのでした。」

この場面は、殴打のもつ象徴的な意味意味合い、つまり叩くことによって生み出すという両面価値的な意味合いが、よく伺われるところであろう。

ラブレーの祝祭的な特徴について、バフチーンは次のように総括している。

「ラブレーの小説は、世界文学史の中で、最も祝祭的な作品といえよう。それは民衆の祝祭の陽気な気分の本質そのものを具象化した。まさにこの点で、それは、次に来る各世紀、特に十九世紀の生真面目で平々凡々たる、公式的で荘重な文学の背景の中で、はっきりと浮き立って見える。それ故、この十九世紀に支配的であった、とりわけ非祝祭的である世界観の立場からラブレーを理解することは不可能なのである。」(川端香男里訳、せりか書房版)





ペーター・ブリューゲル「謝肉祭と四旬節の争い」の一部



前へHOMEフランソア・ラブレー次へ




                         

作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2007
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである