フランス文学と詩の世界 | |
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老女の繰言(ヴィヨン:遺言の書) |
たまたま俺は聞いたのだった 兜屋のばあさんが愚痴をこぼすのを 女盛りの昔がなつかしいなんて ばあさんはこんな風にいうんだ 年を取っちゃおしまいさ どうしてこうなるのさ もう誰もかまっちゃくれない くたばるのを待つだけの身さ わたしゃもう老いさらばえた あんなに美人だったわたしなのに どんな男でも、司祭でさえも わたしを一目見ただけで わたしに熱を上げたものさ 後悔するとわかっていても わたしのためにすべてを捨てた ところが今じゃ目もくれない 沢山の男たちを振ったものさ 今となっては後悔するけど ある時一人の男に惚れた とびきりの美男だったのさ 最初はつれなさを装ったけど とうとう首っ丈になっちゃった あいつは乱暴なところもあったけど わたしをありのままに愛してくれた わたしを泥の中にひきずったり 足蹴にしたこともある それでもわたしは好きだったのさ キスしてくれといわれたりすれば あらゆる恨みも吹き飛んだのさ 大食らいのろくでなしだけど 抱かれたわたしの腹も膨れた 今じゃ恥しか残ってないけど あいつは死んじまった 30年も前に 取り残されたわたしは老いぼれるだけ 涙ながらに思いにふける あの頃のこと 今の惨めさ 裸の自分にぎょっとする もう何も残っちゃいない 哀れに干からびて醜いわたし そんな自分に腹がたつのさ わたしの眉毛は形がよかった 髪はブロンド 睫毛は長く 両目は大きく見開いて 利口そうに見えたものさ 鼻はぽっちゃりと可愛らしく 小さな耳はデリケートそのもの 瓜実顔の頬にはエクボが微笑み 唇は朱色に輝いていた 肩には繊細な肩甲骨がのぞき 腕は長く 指は細く おっぱいはこじんまりとして お尻はでっかく引き締まっていた セックスの相手には最高よ 腰は幅があって へその下には柔らかい毛 ふくよかな股の奥の林には 可愛らしい庭があった 皴のよった額 灰色になった髪 睫毛は抜け散り 目はうつろ あんなにも輝いて 男たちをとりこにした目なのに 鼻はかがんで 耳垂れ下がり コケの葉っぱをみるよう 顔色は青く寒々と見え 顎は突き出て 唇はからから 美しさなんてこんなもの 腕はちじみ 手は曲がる 肩は瘤のように盛り上がり おっぱいときては 形もなし お尻は乾燥芋 乳首は梅干 太股の奥の花びらはどう もう太股なんていえない代物 がりがりに干からびてサラミのよう 繰言のうちに老いさらばえるは このばあさんに限らない 誰しも 年老いて阿呆になる 焚き火の傍にしゃがみこんで 綿くずのように思い出を投げ込んでは やがて燃え上がり 灰となるように 美しいものはいつかは消える このばあさんには限らない |
フランソア・ヴィヨンの主著は、30歳ごろに書いたとされる「遺言の書」Le Testamentである。それ以前に書いた詩集にも、Le Testamentと名付けたので、区別するために、主著のほうはGrand Testament、以前のものをPetit Testamentと呼び分けている。日本語では、Petit Testamentのほうは、普通「形見分けの書」と訳している。 「形見分けの書」のほうは、八行詩40節からなるこじんまりしたものであるが、「遺言の書」は、八行詩186節のほかに、独立した詩20篇を含んだ大作である。 ヴィヨンがどのような意図でこの詩集を書いたか、それは全編に流れている構想を読み解くことによって、自ずから明らかになる。これは、ヴィヨンの惜別の歌なのだ。 ヴィヨンの放蕩無頼については、先稿でのべた。何度も逮捕され、監獄に入れられたヴィヨンも30ごろになって、己の行く末が長くはないことを悟ったのだろう。そこで、まだ筆を取れるうちに、この世にメッセージを残しておきたかったのだと思われるのだ。 「遺言の書」は、人生のはかなさ、移ろいやすさを歌うことから始まり、生きてきた喜びや迫害者へのうらみつらみを歌い、かかわりあった人々への遺贈を述べるという構成をとっている。遺贈の品目は貧乏人らしくろくでもないものばかりだが、ヴィヨンにとってはかけがいのないものばかりだった。 「遺言の書」は「いにしへ人のバラード」のあと、47節目から老女の繰言を取り上げる。昔は美しかった女が、老いの嘆きをかこつ歌だ。 バラードと異なってルフランはないが、脚韻は節ごとにこだましあっている。過去に執着する女の繰言を歌うところは、ボードレールの大先輩というに相応しい。 |
Grand Testament : Les Regrets de la belle Heaulmiere Advis m'est que j'oy regreter La belle qui fut heaulmiere, Soy jeune fille soushaicter Et parler en telle maniere: Ha! viellesse felonne et fiere, Pourquoi m'as si tost abatue Qui me tient? Qui? que ne me fiere? Et qu'a ce coup je ne me tue? "Tollu m'as la haulte franchise Que beaulte m'avoit ordonne Sur clers, marchans et gens d'Eglise: Car lors, il n'estoit homme ne Qui tout le sien ne m'eust donne, Quoi qu'il en fust des repentailles, Mais que luy eusse habandonne Ce que reffusent truandailles. "A maint homme l'ay reffuse, Que n'estoit a moy grant sagesse, Pour l'amour d'ung garson ruse, Auquel j'en faisoie largesse. A qui que je feisse finesse, Par m'ame, je l'amoye bien! Or ne me faisoit que rudesse, Et ne m'amoit que pour le mien. "Si ne me sceut tant detrayner, Fouler au piez, que ne l'amasse, Et m'eust il fait les rains trayner, Si m'eust dit que je le baisasse, Que tous mes maulx je n'oubliasse. Le glouton, de mal entechie, M'embrassoit... . J'en suis bien plus grasse! Que m'en reste il? Honte et pechie. "Or est il mort, passe trente ans, Et je remains vielle, chenue. Quant je pense, lasse! au bon temps, Quelle fus, quelle devenue; Quant me regarde toute nue, Et je me voy si tres changee, Povre, seiche, mesgre, menue, Je suis presque toute enragee. "Qu'est devenu ce front poly, Ces cheveulx blons, sourcilz voultiz, Grant entroeil, le regart joly, Dont prenoie les plus soubtilz; Ce beau nez droit, grant ne petit; Ces petites joinctes oreilles, Menton fourchu, cler vis traictiz, Et ces belles levres vermeilles? "Ces gentes espaulles menues; Ces bras longs et ces mains traictisses; Petiz tetins, hanches charnues, Eslevees, propres, faictisses A tenir amoureuses lisses; Ces larges rains, ce sadinet Assis sur grosses fermes cuisses, Dedens son petit jardinet? "Le front ride, les cheveux gris, Les sourcilz cheuz, les yeulz estains, Qui faisoient regars et ris, Dont mains marchans furent attains; Nez courbes, de beaulte loingtains; Oreilles pendans et moussues; Le vis pally, mort et destains; Menton fronce, levres peaussues: "C'est d'umaine beaulte l'yssue! Les bras cours et les mains contraites, Les espaulles toutes bossues; Mamelles, quoy! toutes retraites; Telles les hanches que les tetes. Du sadinet, fy! Quant des cuisses, Cuisses ne sont plus, mais cuissetes, Grivelees comme saulcisses. "Ainsi le bon temps regretons Entre nous, povres vielles sotes, Assises bas, a crouppetons, Tout en ung tas comme pelotes, A petit feu de chenevotes Tost allumees, tost estaintes; Et jadis fusmes si mignotes! ... Ainsi emprent a mains et maintes." |
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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2007
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