フランス文学と詩の世界
Poesie Francaise traduite vers le Japonais
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  慈悲のバラード(ヴィヨン:遺言の書)

 
  シャルトル派やセレスチン派の司祭さん 
  乞食坊主や 歩き巫女
  ペテン師やぐうたらども
  可愛い尻を振り振り歩くお嬢さん
  また 男めかけたちよ
  靴ずれで足が痛くとも
  弱音をあげない色男たちよ
  今の俺には大事なんだ たとえあんたらの慈悲であっても

  大道芸人の女たちよ
  おっぱいを見せれば客が集まる
  喧嘩っ早いあんちゃんたちよ
  猿回しの猿どもよ
  六人ずつ並んで歩いては
  口笛を吹く道化やのろま
  ありとあらゆるろくでなしどもよ
  今の俺には大事なんだ たとえあんたらの慈悲であっても

  だがあの犬畜生だけは別だ
  俺にろくなものを食わせなかった奴
  朝飯にも 夕飯にも
  今の俺なら許さないぞ
  俺様の屁でも食らえ
  とはいいながら どうしたことだ
  屁をひるにも腰がたたぬ
  今の俺には大事なんだ たとえあんたらの慈悲であっても

  奴のあばら骨を叩き割ってやる
  でっかいハンマーを振りかざして
  それとも鉄の玉でぶち割ってやろうか
  だが今の俺には大事なんだ たとえあいつらの慈悲であっても
      
フランソア・ヴィヨンの詩集「遺言の書」は、186節の八行詩と20篇の独立の詩からなっているが、その最後に近い部分、「結びのバラード」の一つ手前に置かれているのが、「慈悲のバラード」である。

ヴィヨンの時代、生きながらにして遺言を残すことが一つの流行現象になったらしいことについては、学者たちが解明しつつある。遺言は遺贈であるから、自らが人びとに贈り物をすることを意味するが、慈悲を願うことは、そのまさに逆の事柄である。ヴィヨンは、遺言の書を結ぶにあたって、贈与と懇願とをひとつながりのものとして考え、敢えて挿入したのかもしれない。

ヴィヨンは、放蕩無頼がもとで、何度も逮捕されては監獄にぶち込まれた。そんな時には、人びとの慈悲を求めては、開放されることを祈り、また自分をひどい目にあわせた人間を呪ったりした。

「慈悲のバラード」は、そんな救いを求める声と、呪いの気持ちとが複雑に交差している。遺贈のアンチテーゼとして取り上げるには、格好のテーマであったようだ。






Grand Testament : Ballade de mercy par Francois Villon

  A Chartreux et a Celestins,
  A Mendians et a Devoctes,
  A musars et clacque patins,
  A servans et filles mignoctes
  Portans seurcoz et justes coctes,
  A cuidereaux d'amour transsiz
  Chaucans sans mehain fauves boctes,
  Je crye a toutes gens mercys.

  A fillectes monstrans tetins
  Pour avoir plus largement hostes,
  A ribleurs, menneurs de hutins,
  A batelleurs, trayans mermoctes,
  A folz, folles, a sotz, a soctes,
  Qui s'en vont cyfflant six a six,
  A vecyes et mariotes,
  Je crye a toutes gens mercys.

  Synon aux traitres chiens matins
  Qui m'ont fait ronger dures crostes,
  Macher mains soirs et mains matins,
  Que ores je ne crains trois croctes.
  Je feisse pour eulx petz et roctes;
  Je ne puis, car je suis assiz.
  Auffort, pour esviter rioctes,
  Je crye a toutes gens mercys.

  C'on leur froisse les quinze costes
  De groz mailletz, fors et massiz,
  De plombees et telz peloctes !
  Je crye a toutes gens mercys.

  

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