フランス文学と詩の世界 | |
Poesie Francaise traduite vers le Japonais | |
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ある Il y a |
私の恋人を連れ去った船がある 空には六個のソーセージがあり、夜になるとウジ虫が星々を生む 潜水する敵があり、私に愛されることを願う 千のもみ殻があり、私のまわりで弾丸のかけらに吹き飛ばされる 毒ガスに眼をやられながら通り過ぎる歩兵がある ニーチェとゲーテとケルンの腸の中ですっかりもつれている我々がある なかなか来ない手紙を待ち焦がれている私がある 私の財布の中にはたくさんの愛の写真がある 不安そうな顔つきをしている囚人たちがある 叩き手がパーツのまわりで戯れている太鼓がある 一本杉の道をトロットでやって来る指揮官がある ここを通って宛も地平線のように割り込むスパイがある、いかがわしい色の混沌とした地平線 百合のようにめかしこんだ私の愛の胸像がある 大西洋を隔ててT.S.Fと不安そうに交信するキャプテンがある 真夜中に甲板を切り取り棺桶をつくる兵士たちがある メキシコで血を流すキリストの前で大声でとうもろこしをねだる女たちがある かくも暖かく快適な湾流がある 五キロにわたって十字架が連なる墓場がある ここにもあそこにも至るところ十字架がある アルジェリアのサボテンには野生のいちじくが生えてある 私の愛の長くてしなやかな手がある 15センチのロケットにいれたままそのままにしているインク壺がある 雨に曝されているわたしの鞍がある コースを逆流しない川の流れがある 私を甘美にさせない愛がある 背中に機関銃を背負った囚人があった 世の中には一度も戦場に行ったことのない人々がある ヨーロッパの田舎を驚きの目で見つめるインド人たちがある インド人たちは憂えながらヨーロッパの田舎をもう一度見たいと思う 何故って、この長い戦争の間身を隠していることがやさしくなったから エマニュエル・レヴィナスはフィリップ・モネとの対話「倫理と無限」のなかで、彼の最初の著作「実存から実存者」に触れながら、この本は「ある」について語っており、自分はそのことを Il y a という言葉で表したのだったが、その時には「Il y a」と題されたアポリネールの有名な詩のことは知らなかったと言った。知っていたとしても、どうということもないようなのだが、フランス語で「Il y a」というと、どうも人はそれに存在への賛歌のような気持ちを感ずるようなので、存在からの超越を究極的に目指している自分としては、誤解されやすい恐れはあるかもしれない、ということらしかった。 たしかにこの詩からは、存在の充溢のようなものが感じられる。さまざまなものが「ある」つまり「存在する」ということを繰り返し歌うことで、存在することへの深い共感が広がるように感じられる。その共感は、実存するものの喜びや豊穣を意味しており、ハイデガーのいう「es gibt」とやや似ているとレヴィナスはいう。しかしレヴィナスがこの言葉「Il y a」で表現したいのは、そういう事ではない。かれにとっての「ある」は、非人称的な存在、つまり具体的な存在者によって占められている豊かな存在ではなく、あらゆる存在者がそれを満たすには違いないが、それ自体としては空虚でなにもないようなもの、存在の舞台そのものであるような何か、そういうものとして意識していたと、レヴィナスは言うのである。 そういう意識は、たとえば空っぽの貝殻を耳にあてると、「その空白が満たされているかのように、その静寂がざわめきのように聞こえることとどこか似て」いるとレヴィスはいう。「たとえ何も存在しなくても、『ある』という事実は否定しえないと思う時にも感じられる何か」、それがレヴィナスが「Il y a」という言葉で表現したかたったものだというのである。存在のざわめきのようなもの、それが「ある」の実体だというわけである。 そういう「存在のざわめき」としての非人称的な「ある」は、「雨が降る(il pleut)や「日が暮れる(il fait nuit)」と同じような非人称性を帯びているともレヴィナスはいう。この「ある」は、(アポリネールの「ある」とは異なって)具体的に存在する出来事ではないが、かといって無でもない。中途半端な性格のものである。その中途半端さが私をイライラさせる。それで私はそれを恐怖や狂乱と結びつけて描いたとレヴィナスはいうのである。 その狂乱のイメージをレヴィナスは不眠を例にとって説明する。不眠の状態では、眠れない私がいると同時に、そうではない事態もある。眠れないのは私なのだが、私を眠れなくさせているのは私自身ではなく、私以外のなにものかである。そのなにものかは、「それ」としかいいようがない。私が眠れないのではなく、「それ」が私を眠らせないのだ。その「それ」の非人称性と「ある」の非人称性とはよく似ているとレヴィナスは言うのである。「『ある』という、気も狂わんばかりの経験の中では、そこから抜け出すことが、『音楽をとめる』ことが、全面的に不可能であると言う印象を」抱くというのである。 それに対して、アポリネールの「ある」は、存在することの喜びとか豊饒さが、すなおに歌われている。そこには存在への疑問はいささかも感じられない。そこのところがレヴィナスに聊かの違和感を与えたのだと思う(文中の引用文は、「倫理と無限」西山雄二訳から)。 |
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Il y a Il y a un vaisseau qui a emporté ma bien-aimée Il y a dans le ciel six saucisses et la nuit venant on dirait des asticots dont naîtraient les étoiles Il y a un sous-marin ennemi qui en voulait à mon amour Il y a mille petits sapins brisés par les éclats d'obus autour de moi Il y a un fantassin qui passe aveuglé par les gaz asphyxiants Il y a que nous avons tout haché dans les boyaux de Nietzsche de Gœthe et de Cologne Il y a que je languis après une lettre qui tarde Il y a dans mon porte-cartes plusieurs photos de mon amour Il y a les prisonniers qui passent la mine inquiète Il y a une batterie dont les servants s'agitent autour des pièces Il y a le vaguemestre qui arrive au trot par le chemin de l'Arbre isolé Il y a dit-on un espion qui rôde par ici invisible comme l'horizon dont il s'est indignement revêtu et avec quoi il se confond Il y a dressé comme un lys le buste de mon amour Il y a un capitaine qui attend avec anxiété les communications de la T.S.F. sur l'Atlantique Il y a à minuit des soldats qui scient des planches pour les cercueils Il y a des femmes qui demandent du maïs à grands cris devant un Christ sanglant à Mexico Il y a le Gulf Stream qui est si tiède et si bienfaisant Il y a un cimetière plein de croix à 5 kilomètres Il y a des croix partout de-ci de-là Il y a des figues de Barbarie sur ces cactus en Algérie Il y a les longues mains souples de mon amour Il y a un encrier que j'avais fait dans une fusée de 15 centimètres et qu'on n'a pas laissé partir Il y a ma selle exposée à la pluie Il y a les fleuves qui ne remontent pas leur cours Il y a l'amour qui m'entraîne avec douceur Il y avait un prisonnier boche qui portait sa mitrailleuse sur son dos Il y a des hommes dans le monde qui n'ont jamais été à la guerre Il y a des Hindous qui regardent avec étonnement les campagnes occidentales Ils pensent avec mélancolie à ceux dont ils se demandent s'ils les reverront Car on a poussé très loin durant cette guerre l'art de l'invisibilité |
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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2007-2013
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