フランス文学と詩の世界 |
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憂愁(ボードレール:悪の華) |
憂愁 余は雨に降りこめられた国の王だ 豊かだが能力に欠け 若くして年老いている 側近のおべっかには飽き飽きとし 犬にも他の生き物にも慰められることがない 余は何者にも心動かぬ 狩猟にも 鷹狩りにも 眼前で死に行く人々を見ても 道化の振りまく滑稽な節回しも 余を楽しませることはない ゆりの花の模様がついた余のベッドは墓と化した 男には目のない下女たちも 骸骨のような余の気を引こうともせず 余の汚れた下着を替えようともせぬ お抱えの錬金術師でさえ 余の体から腐敗の種を除き得ぬ ローマから伝えられた血の風呂につかっても 昔のようによみがえることはない 何人も屍のような余を温めることは出来ぬ 余の血管には忘却の青い血が流れているのだ |
「悪の華」の第二版には、憂愁 Spleen と題した詩が4編ある。初篇にもそ同名の題を関した作品がほかにあった。ボードレールは個々の作品を超えて、詩集の一節にも「憂愁と理想」と題しているし、また唯一の散文詩集にも「パリの憂愁」 Le Spleen de Paris と題した。 このことから伺えるように、ボードレールにとって、憂愁という言葉は重みを持つ言葉だったのだ。ボードレールの使ったキーワードには、ほかに、倦怠、闇、死などの言葉がある。普通の人が忌み嫌うこれらの言葉を駆使することによって、ボードレールが訴えようとしたのは何だったのか。 なお、この詩は Spleen と題された4編の詩のうち、三番目に位置している。ボードレールは、テオフィル・ゴーティエの詩「孤独な王」に触発されて、これを書いたのだとされている。 |
Spleen - Charles Baudelaire Je suis comme le roi d'un pays pluvieux, Riche, mais impuissant, jeune et pourtant très vieux, Qui, de ses précepteurs méprisant les courbettes, S'ennuie avec ses chiens comme avec d'autres bêtes. Rien ne peut l'égayer, ni gibier, ni faucon, Ni son peuple mourant en face du balcon. Du bouffon favori la grotesque ballade Ne distrait plus le front de ce cruel malade; Son lit fleurdelisé se transforme en tombeau, Et les dames d'atour, pour qui tout prince est beau, Ne savent plus trouver d'impudique toilette Pour tirer un souris de ce jeune squelette. Le savant qui lui fait de l'or n'a jamais pu De son être extirper l'élément corrompu, Et dans ces bains de sang qui des Romains nous viennent, Et dont sur leurs vieux jours les puissants se souviennent, II n'a su réchauffer ce cadavre hébété Où coule au lieu de sang l'eau verte du Léthé |
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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2007
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