フランス文学と詩の世界
Poesie Francaise traduite vers le Japonais
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 吊るされ人のバラード:ヴィヨンの墓碑銘

 
  我らの分まで生き延びる兄弟たちよ
  我らを見ておぞましく思ふなかれ
  我らに幾許かの同情を抱くならば
  神も汝らを憐れみたまふべし 
  五体六体並んでぶら下がった我ら
  かつては太って色艶のあった我ら
  今ではカラスに食はれ骨になった我ら
  あとは灰となり粉となるのみの我ら
  我らの不運を笑ふなかれ
  ただ祈れ、神よ我らを憐れみたまへと
  
  兄弟たちよ、我らをあざ笑ふなかれ
  勅令によって吊るされた我らを
  汝らも良く知る如く
  勅令を読むには知性が必要
  我らにはそれが欠けていただけ
  処女マリアの御子に祈れ
  我らをゆるし慈しみたまへと
  そして地獄を我らから遠ざけたまへと
  我らは死んだ、いまさら嘆いても手遅れだ
  ただ祈れ、神よ我らを憐れみたまへと

  我らを雨が洗い清める
  我らを太陽が焼き焦がす
  我らの眉毛も我らの髭もカササギどもが啄ばみ取る
  我らの目玉をカラスどもがほじくり出す
  時の流れに身をまかせつつ
  風に揺られてはぶらぶらする
  我らの心には安らぐ暇がない
  そこここに穴があいた我らの身体
  こんな姿を見せたくない
  ただ祈れ、神よ我らを憐れみたまへと

  イエス・キリスト、我らは皆あなたの民
  地獄が我らを捕らへぬよう護りたまへ
  我らには何の用もないところ故
  そして兄弟たちよ、我らが亡骸に饒舌を振るふなかれ
  ただ祈れ、神よ我らを憐れみたまへと
     

フランソア・ヴィヨン” Francois Villon;1431-1463?”の生涯は、「無頼と放浪の詩人」という名に相応しく、さして長くもないと思われるにかかわらず、この世の秩序からはみ出たランチキぶり、喧嘩やちっぽけな犯罪、そして追放や懲役といった不名誉な事柄で満ち満ちている。

そんな男であるから、フランソア・ヴィヨンの強運もそう長くは続かなかった。30を過ぎたばかりという年に、つまらぬ事件がもとで裁判にかけられ、絞首刑を宣告されたのである。これにはさすがの無頼漢も肝を冷やしたことだろう。

フランソア・ヴィヨンは無頼漢ではあったが、この世への執着は人並み以上に持っていたらしい。明日にも吊るされることを覚悟しようとは思うのだが、なかなか気持ちの平衡を保てない。吊るされてぶら下がった自分の姿を想像すると、どうにも心がやるせなくなる。

フランソア・ヴィヨンには、悪党仲間がたくさんいたようだ。そんな悪党たちと比べれば、この俺様がそんなにひどい悪党とも思われない。それなのに、世の中には吊るされる奴と、吊るされずにのうのうと生き延びる奴がいる。

いったい、明日吊るされてしまったら、この俺様がこの世に生きてきたことの証はどうなってしまうのだ。フランソア・ヴィヨンは、信仰とは縁がなかったようだが、あの世のことも気にかかる。生前から、気前のいい贈与や、死んだ後の形見分けに気を遣っていたヴィヨンのことだから、このまま事務的に吊るされてしまうのには抵抗があった。

そこで、フランソア・ヴィヨンは、遺言がわりに一篇の詩を残すこととした。「吊るされ人のバラード:またはフランソア・ヴィヨンの墓碑銘」と題されたこの詩は、一人の詩人にして無頼漢であったフランソア・ヴィヨンの、過去現在未来にわたる、あらゆる地球人にあてたメッセージである。

詩の中で、「兄弟たちよ」と呼びかけているのは、悪党仲間のことらしい。その仲間にあてたメッセージは、今日に生きる我々にも伝わってくるようだ。

事実を言えば、フランソア・ヴィヨンは絞首刑の執行を免れた。ルイ11世の戴冠を記念した恩赦の末端にあずかったからである。






L'Epitaphe de Villon ou " Ballade des pendus "

  Freres humains, qui apres nous vivez,
  N'ayez les coeurs contre nous endurcis,
  Car, si pitie de nous pauvres avez,
  Dieu en aura plus tot de vous mercis.
  Vous nous voyez ci attaches, cinq, six :
  Quant a la chair, que trop avons nourrie,
  Elle est pieca devoree et pourrie,
  Et nous, les os, devenons cendre et poudre.
  De notre mal personne ne s'en rie ;
  Mais priez Dieu que tous nous veuille absoudre !

  Se freres vous clamons, pas n'en devez
  Avoir dedain, quoique fumes occis
  Par justice. Toutefois, vous savez
  Que tous hommes n'ont pas bon sens rassis.
  Excusez-nous, puisque sommes transis,
  Envers le fils de la Vierge Marie,
  Que sa grace ne soit pour nous tarie,
  Nous preservant de l'infernale foudre.
  Nous sommes morts, ame ne nous harie,
  Mais priez Dieu que tous nous veuille absoudre !

  La pluie nous a debues et laves,
  Et le soleil desseches et noircis.
  Pies, corbeaux nous ont les yeux caves,
  Et arrache la barbe et les sourcils.
  Jamais nul temps nous ne sommes assis
  Puis ca, puis la, comme le vent varie,
  A son plaisir sans cesser nous charrie,
  Plus becquetes d'oiseaux que des a coudre.
  Ne soyez donc de notre confrerie ; 
  Mais priez Dieu que tous nous veuille absoudre !

  Prince Jesus, qui sur tous a maistrie,
  Garde qu'Enfer n'ait de nous seigneurie :
  A lui n'ayons que faire ne que soudre.
  Hommes, ici n'a point de moquerie ;
  Mais priez Dieu que tous nous veuille absoudre !

  

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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2007
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