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ヴァルター・ベンヤミンのボードレール論 |
ワイマール時代のドイツの思想家ヴァルター・ベンヤミン Walter Benjamin のボードレール論は、ベンヤミン特有のキーワードを駆使しながら、ボードレールを、高度産業社会の勃興期にあって、社会と人間との裂け目を凝視し、それを抒情詩という、もはや時代遅れとなりつつある形式に定着した不幸な詩人として捕らえている。 ベンヤミンは、ボードレールとプルーストをドイツ語に翻訳しながら、それらを深く読み解く過程で、芸術作品のもっていた、あるいは本来もつべきであるオーラというものを追求するうち、そのアンチテーゼとして近代社会を制約しつつあった事象を、彼特有のキーワードの中に定着したのだともいえる。 ベンヤミンがボードレール論の中で用いているキーワードはいくつかあるが、最も重要なのは、近代都市としての「パリ」、そこに生きる「群衆」、そして群集が寄り集まる特異な空間としての「パサージュ」であった。いづれもベンヤミンの思想にとっての、重要なキーワードとなるものである。 ボードレールが生きた第二帝政下のパリは、急速な近代化が進行する舞台だった。産業が勃興して、労働者という新しい階層が登場し、そうした人たちが集中して、パリはいままでとはおよそ異なった風貌を呈しつつあった。 少なくとも王政復古の時代まで、パリはまだ、その内部にさまざまな共同体を抱え込み、人間相互の関係は顔を見つめあうような親密な雰囲気に取り囲まれていた。抒情詩というのは、そのような土壌から育つものなのである。 ところがボードレールの目の前に展開しつつあったパリは、およそ抒情詩が似合わない都会になりつつあった。人々が共同体のぬくもりにつかっていられた時代は去り、大勢の人間が相互に疎外しあうような人間関係が形成されつつあった。 一昔前に比較して、パリの人口は飛躍的に増えた、その分人間相互の関係は希釈になり、果ては互いに互いの存在を考慮にいれないような人間関係が成立してきたのである。 このような互いに関係性を持ちえない人間の集団を、ベンヤミンは群集と名づける。ボードレールの詩は、この群集との不幸な係わり合いを、時代遅れになりつつある抒情詩という形式で表現しようとした試みなのだ。 この群集というものに、ボードレールはどうかかわったか。気質の点ではよく似ている先輩エドガー・ポーが、すでにこの群集というものを意識的に取り上げていた。 ポーの小説には、ロンドンの街並を舞台に、群集とそれを観察する主人公が出てくる。その群集を見つめる主人公の視線は、第三者的で、群集を外側からみているところがある。ポーにとっては、群集というものは、時代の産物としての目新しい現象として受け取られ、その限りで否定できない存在ではあったが、自分がそれによって影響されるようなものであってはならなかった。 だがボードレールは、第三者的な視線で群集を突き放して見ることはできなかった。ベンヤミンはそんなボードレールの群集に対する感情を次のように書いている。 「ボードレールは群集が彼を惹きつけ遊民として彼を群集の一人とするその力に屈しはしたが、群集の非人間的性質という感情は決して彼を去ることがなかった。彼は自分を群集の共犯者とし、ほとんどその同じ瞬間に群集から離反する。彼は広汎に群集と係わり合い、それから不意に侮蔑の一瞥によって群集を無の中に擲げ入れる」(円子修平訳) ここでベンヤミンがいっていることは、ボードレールと群集とが同じ胎内から生まれた兄弟であることを、ボードレール自身意識していたということだ。産業資本主義の発展は、膨大な労働者たちを群集という形で都市に集める一方で、資本の生み出す利子によって暮らす遊民を作り出す。ボードレールは利子で生活する遊民だったのである。 だからボードレールは、同じ胎内から生まれた兄弟である群集を、そっけなく扱うわけにはいかなかった。彼は常に群集の中に入っていっては彼らと交わり、群集の吐息を感じ、ありえたかもしれない彼らと自分との親しい触れ合いを夢見たりする。だがその瞬間、彼は群集に嫌悪を感じ、侮蔑の一瞥をもって突き放すのである。 そもそも群集という事象はボードレール以前のパリにはなかったものだ。また群集が現れてからも、それを正面から問題にする芸術家はいなかった。ボードレールは自分の前に雨後のキノコのように出現したおびただしい人間たち、つまり群集を目の前にして、自分と彼らとの係わり合いのあり方について、どうしても考えずにはいられなかったのだ。 そんな彼が群集と出会うのは、ベンヤミンの言葉で言えばパサージュだ。パサージュとは屋根つきの路地のことだが、ベンヤミンはこれを産業資本主義時代のパリを象徴するものとしてとりあげている。 パサージュは近代産業を象徴する。それは外形的には鉄材を用いた近代的な空間であり、現象としては、商品が溢れかえり、それを求めて人々が集まってくるところである。パサージュは万国博覧会のミニチュアと言い換えることもできる。支配するのは商品としての物であり、物の中でも使用価値ではなく交換価値が闊歩する世界である。つまり物神が形をとった世界である。 人々はこのパサージュの中で、自分の欲望を追求する。だがその欲望は、誰にも共通するようなありふれた欲望だ。商品は画一的で誰に対しても同じ顔で対面する。わたしだけの個別的な対象などといったものは、パサージュの中では存在しない。みな同じものを、同じような欲望の対象とする。 つまりパサージュの中を歩いている人たちは、個性的な顔つきではなく、皆おなじような顔をしている。群集という顔である。 パサージュで最も人気のある娯楽は賭博だ。ボードレールも繰り返し賭博をテーマに取り上げている。ベンヤミンはこの賭博を、近代産業における工場労働者の動作と関連づけて論じている。 賭博の本質は、それがどんな局面にあっても、一回限りの行為だということだ。つまりこれから行うさいころの一擲は、その前になされた一擲と何のかかわりも持たない。一擲一擲が孤立した事象なのだ。ということは経験が問題にならない遊びだということであり、意味のない繰り返しだということだ。 近代工場の中で行われている労働者の作業もまた、これに似ていると、ベンヤミンはいう。労働者たちにとって、一刻一刻に行う労働は、その人にとって何の経験にもならない。つまり無意味な行為の反復を強いられている。労働者が自分を非人間的な行為に駆り立てられていると感じるのは、彼の行う労働そのものが無意味だからなのだ。 経験がもたらす充実した内実をベンヤミンはオーラという言葉で呼んだ。ボードレールの詩業はこのオーラの回復を目指したものだったと、ベンヤミンはいう。しかしそのオーラの源泉をどこに求めたらよいのか。ボードレールは群集を前にして、いつも叫ぶのだ、こいつらにオーラを求めても無駄なのだと。 それでもなお、ボードレールはオーラのかけらを求めてさまよい続ける。彼が抒情詩にこだわったのは、それがオーラを閉じ込めるためのもっとも優れた芸術的な装置だからだ。だがそれはむなしい結果にしかつながらない。それでもボードレールはこだわり続ける。そのこだわりがボードレールという詩人に稀有な陰影を刻み付ける。 「かれ(ボードレール)の詩は第二帝政の空に<大気なき星座(ニーチェの言葉)>としてきらめいている。」これはベンヤミンのボードレール論を締めくくる最後の言葉だ。 |
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