フランス文学と詩の世界
Poesie Francaise traduite vers le Japonais
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 清眞人「新ランボー論」を読むその三


清君のランボー論は、最後にランボーのパリ・コミューンへのかかわりを問題にする。ランボーがパリ・コミューンに深いかかわりをもったことは周知の事実なので、スルーするわけにはいかない。そこで清君は、ランボーの書いた五つの詩篇を手掛かりにしてかれのコミューン体験の意味を考察する。その五つの詩篇とは、「鍛冶屋」、「パリの軍歌」、「パリの乱痴気騒ぎ」、「ジャンヌ・マリーの手」、「おれの心よ、いったいおれたちの・・・」で始まる無題の詩である。この五つの詩について清君は、いづれもランボーが被抑圧者の側に立っていることを指摘する一方、前の四編と最後の一編との間に著しい相違があると指摘する。希望から絶望へと変化していると言うのである。以下個々の詩篇についての清君の解釈を見てみよう。

これら五編のうち「鍛冶屋 Le forgeron 」は、1870年に書かれており、パリ・コミューンとは直接の関係はない。ただ、18世紀末のフランス革命をテーマにしており、その点では、パリ・コミューンを予期させるものではある。清君はこの詩編に、「鍛冶屋の闘志に満ちた平等主義的友愛感情」と、「立ち上がった民衆を『暴徒』呼ばわりする王政側への抗議」を読み取っている。

「パリの軍歌 Chant de guerre parisien 」は、コミューンを粉砕してくれたことを喜ぶパリのブルジョワを皮肉ったもので、おそらくランボーの見た光景を描いたのだと思う。これについて清君は、ヴェルサイユ政権のティエールとピカールを「盗人」等と呼んで罵倒するところにランボーの闘志を見ている。

「パリの乱痴気騒ぎ L’Orgie parisienne ou Paris se repeople 」は、ランボーのヴェルレーヌ宛の最初の手紙に同封されたもので、現物は残っていない。おそらくコミューン体験の生々しい時期に書いたと思われる。これについて清君は、ヴェルサイユ政府軍の暴力的な本性を見るとともに、それらを手玉にとるパリの娼婦たちへのランボーの連帯感を読み取っている。

「ジャンヌ・マリーの手 Les Mains de Jeanne-Marie 」は、「血の五月」と呼ばれるコミューンへの大弾圧にさいして、パリの労働者階級の女たちが勇敢に戦うさまを歌ったものだ。これについて清君は、「革命歌マルセイエーズと慈悲愛を歌う教会の歌」とが対置されていることを指摘しながら、これを彼自身の「イエスにおける『慈悲愛 charité 』の位相」と関連付けている。かれがなぜ、コミューンの運動をイエスの慈悲愛と関連付けるのか、小生には呑み込めなかった。

「おれの心よ、いったいおれたちの・・・ Qu'est-ce pour nous, mon cœur…」で始まる無題の詩は、1871年の終わりころか1872年の最初のころに書かれたと推測される。コミューン体験を踏まえたものであるが、かなりな時間がたった後で書いていることもあり、コミューンについてのランボーなりの総括と言ってよい。その総括はかなり否定的なもので、そこにランボーの絶望を読み取る清君の視点は冴えていると言える。なお、この詩はフランス語の伝統的な韻律をひっ繰り返すような、革命的な意義をもった作品として受け取られている。

さて、以上が清君のランボー論の概要と、それに対する小生の注釈である。以下は、ランボーについての小生自身の見方を紹介し、清君との異同についても併せて紹介したい。

清君はランボーを、慈悲愛と大地母神的宇宙への憧憬を抱いた、基本的には宗教的な人間として見るわけだが、小生はランボーをそのようには見ない。清君とは逆に、ランボーは信仰とは無縁な同性愛者であり、社会変革をめざす革命家の素質を持った人間だと見る。そしてその基底に、幼少期からランボーに見られた社会に対する冷笑的な姿勢を指摘できると考える。それを以下で詳述したい。

作家の生涯の業績は彼の処女作に凝縮された形で予告されているとはよく言われることだが、それはランボーのような破天荒な天才にも当てはまる。ランボーの文学上の処女作は、「ルイ十一世に宛てたるシャルル・ドルレアン公の書簡 Charles d’Orléans à Louis XI 」と題する作文である。これはリセの授業の一環として書かれたもので、シャルル・ドルレアン公が国王ルイ十一世にフランソワ・ヴィヨンの助命を嘆願するという体裁のものである。ランボーがこれを書いた当時、ヴィヨンの存在はほとんど知られておらず、その著作も一部でしか出回っていなかったので、ランボーがヴィヨンに注目したのは非凡なことだったと言える。ランボーはこの作文とは別に、明らかにヴィヨンに啓発された詩も書いている。「吊るされ人の舞踏会 Bal des Pendus 」と題するものである。これはヴィヨンの詩「吊るされ人のバラード Ballade des pendus 」のパロディである。ヴィヨンの詩は、死刑を宣告されて吊るされるのを前にしたヴィヨンが、吊るされた自分の姿を夢想するというものだ。それに対してランボーは、吊るされたヴィヨンを嘲笑するのである。そこには同情はない。吊るされるのは愚かさの報いだという冷笑的な視線を感じさせるばかりである。そうした冷笑的な姿勢がランボーの生涯を一貫して彩るのである。その冷笑は、時には社会的な道徳規範への冷笑となってあらわれ、社会システムへの反感となって現れる。そして前者は同性愛への傾斜に結びつき、後者は社会革命へのアンガージュマンへとランボーを駆り立てたと言える。

ランボーの同性愛傾向は、すでに十五歳の時に書いた詩の中に見ることができる。「ヴィーナスの誕生 Vénus Anadyomène 」と題するもので、ランボーの肛門愛を歌ったものである。ヴェルレーヌと一緒になってからは、ヴェルレーヌ相手に同性愛に耽った。ランボーが掘る側だったことは、たとえば「尻の穴のソンネ Sonnet du Trou du Cul 」の中で、明らかにヴェルレーヌのものと思われる毛の生えた尻の穴をしげしげと見つめる描写からわかる。ランボーの同性愛は、やがて少年愛へと転化する。アフリカの砂漠でのランボーにとって、唯一の慰めは地元の少年を愛することだったのである。

社会システムへの批判意識も、初期の詩篇にすでに見ることができる。たとえば「音楽につれて A La Musique 」。これは十五歳のときに書いたもので、シャルルヴィルのブルジョワに冷笑を浴びせているものである。積極的な社会批判意識はやがて社会主義思想への共鳴となって現れる。ランボーは、「共産主義憲法の草案 Projet de constitution communiste 」なる文章を書いており、その中で幼稚ながらも共産主義社会への期待を表明している。パリ・コミューンのすぐ前のことだと思われる。そんなわけだから、パリ・コミューンが成立すると、彼なりの使命感を持って参加を企てたと言える。もっとも彼は、コミューンの初期には国民軍に編入されて、バビロン兵舎にいたようである。その際にランボーは兵士たちから強姦された可能性が高い。「盗まれた心 Le Coeur volé」と題する詩は、どうやら強姦された体験を歌っているようなのである。

ともあれ、ランボーのパリ・コミューン体験は、長編詩「酔いどれ船 Le Bateau Ivre 」に凝縮された形で表現されている。これは粉砕されたパリ・コミューンを難破船にたとえて、その苦難の漂流を歌ったものだ。この詩をランボーは、ヴェルレーヌとの初めての出会いの手土産として持参した。ヴェルレーヌは後に「呪われた詩人達 Les Poètes maudits 」の中で、この詩をランボーの傑作の一つとして紹介しているが、光彩陸離たる力の王国を見せてくれるとだけ書いており、パリ・コミューンとのかかわりについては触れていない。ヴェルレーヌにはランボーのような社会批判的な意識は見られないから、これを政治的な作品とは思い浮かばなかったのであろう。ランボーがヴェルレーヌに愛想づかしをしたのは、そうした能天気さにうんざりしたからではないか。とはいえ、ヴェルレーヌは「呪われた詩人達」によって、ランボーのほかマルスリーヌ・デボルド=ヴァルモールやトリスタン・コルビエールの名を広く知らしめた功績がある。

「酔いどれ船」を清君は「酔いどれボート」と訳しているが、それでは難破船のイメージは浮かんでこない。ランボーはこの船のイメージを、エドガー・ポーの小説「アーサー・ゴードン・ピム Arthur Gordon Pym 」から得たものと思われる。ポーの小説とほとんど同じような光景が繰り返し出てくることからそれがわかる。ランボーは、ボードレールを介してポーを耽読していたようで、当然この小説も読んでいただろう。その難破船に崩壊したパリ・コミューンのイメージを重ね合わせたわけだ。要するにコミューンへの鎮魂の歌であるとともに、ブルジョワ社会への嫌悪の表明だったのである。そういう経緯があるから、清君が取り上げた「おれの心よ、いったいおれたちの・・・」とすんなりつながるのである。後者は、前者を踏まえたうえで、あらためてブルジョワ社会への絶望を表明したものなのだ。

以上、清君のランボー論を小生なりに解釈しながら、小生自身のランボー観も紹介した次第である。小生と清君とでは、ランボーの読み方にかなりの相違があるが、冒頭の部分で述べたように、ランボーのような天才的な詩人は、さまざまな読み方を促すのであり、皆が一様に読む必要はない。読み方に相違があって当然なのである。ただ、ランボーが好きだという感情を共有できれば、それに越したことはない。


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