フランス文学と詩の世界
Poesie Francaise traduite vers le Japonais
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 ピエール・ド・ロンサール:詩の翻訳と解説


ピエール・ド・ロンサール(Pierre de Ronsard 1524-1585) は、フランス近代詩の先駆者であり、今でも詩の王子と称されて、若い人たちを中心に読みつがれている。オードの名手として知られるとともに、フランスにソネットを定着させた功績もある。どちらの形式をとっても、テーマは一貫していた。恋の歌である。恋の感情を情緒たっぷりに表現するのが、ピエール・ド・ロンサールの持ち味だった。もっとも、ロンサール自身若い頃に、特定の女性と深い愛に陥った記録はない。かれは、社交界の花形だったのだが、その社交界をうならせるために、恋の歌を書いたようである。

もともとルーマニアに起源をもつ貴族の家に生まれ育った。少年のころから宮廷に出入りし、皇太子フランソワの小姓になったり、オルレアン公シャルルに仕えたりした。本格的な教育は、コレージュ・ド・コクレで受けた。そこでの同級生たちが、後にプレイヤード派の主要メンバーになった。ピエール・ド・ロンサールとラブレーが対談したのは、このコレージュでのことだといわれているが、この二人は四十歳も年齢差があり、しかもラブレーの経歴から考えてありそうもないことである。にもかかわらず、そのような話がまことしやかに伝えられてきたのは、この二人がフランスのルネサンス精神を共有しているからだろう。

ピエール・ド・ロンサールは、いまでは、近代的な抒情詩の先駆者と言われているが、生前はプレイヤード派の首領と目された。プレイヤード派というのは、内容ではなく外見によってつけられたあだ名だ。プレイヤード星座のように、七つの星からなる集団というような意味だ。この呼称は尊称というよりは、揶揄する気持ちをこめて使われたものだった。精神性に欠けた雑多な連中といったような意味合いでだ。

たしかに、ピエール・ド・ロンサールには、たいした精神性は認められない。彼の詩は、ひたすら女性への恋の感情を吐露するもので、その内容は感性的な愉悦を謳歌するテイのものだ。そこに人間性への深い理解とか、あるいは高貴な理念を認めることはできない。その点、人間性の深い理解者であったラブレーと一緒にすることはできない。ラブレーは、人間性を笑い飛ばすのが好きなので、人間性の典型的な発露である恋の感情も、笑いの対象となるのだ。それに対して、ピエール・ド・ロンサールは、ただひたすら恋の思いを歌い上げるのである。

ここではそんなピエール・ド・ロンサールの、オード形式及びソネット形式による恋の歌を取り上げ、管理人による翻訳をもとに鑑賞しながら適宜解説・批評を加えたい。


キューピッドへ A Cupidon:ロンサールのオード

ミニョン A Sa Maistresse:ロンサールのオード

ベルリの泉 O Fontaine Bellerie:ロンサールのオード

青春 Quand je suis vingt ou trente mois:ロンサールのオード

おてんばな子馬 Odelette a une jeune maitresse:ロンサールのオード

ツバメ Odelette a l'Arondelle:ロンサールのロンド

緑なすサンザシ Bel aubepin verdissant:ロンサールのオード

我が青春は過ぎ去った Ma douce jouvence est passee :ロンサールのオード

願わくは Je voudrais bien:ロンサールのソネット

千のなでしこ Si mille oeillets:ピエール・ド・ロンサールのソネット

森の精ドリアード Dedans des Prez je vis une Dryade

空よ 風よ Ciel, air et vents, plains et monts decouverts

マリーへのソネット第23番:ピエール・ド・ロンサール

マリーへのソネット第35番:ピエール・ド・ロンサール

マリーへのソネット第43番:ピエール・ド・ロンサール

マリーへのソネット第50番:ピエール・ド・ロンサール

エレーヌへのソネット第19番:ピエール・ド・ロンサール

エレーヌへのソネット第43番:ピエール・ド・ロンサール

エレーヌへのソネット第49番:ピエール・ド・ロンサール

エレーヌへのソネット「キスして」:ピエール・ド・ロンサール

死のソネット Je n'ay plus que les os:ピエール・ド・ロンサール

墓碑銘 Pour son tombeau :ピエール・ド・ロンサール




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