フランス文学と詩の世界 |
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Poesie Francaise traduite vers le Japonais | |
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エディット・ピアフ 伝記と歌詞の和訳 |
エディット・ピアフ Edith Piaf (1915-1963) といえばシャンソンの女王といわれ、20世紀のシャンソン界を象徴する存在だ。筆者も含めて、シャンソン好きの日本人が最も愛するシャンソン歌手、それがエディト・ピアフだ。そんなピアフの歌を、日本語で楽しむとともに、彼女の生き様も併せて紹介したい。そんな気持ちに駆られて、このサイトを立ち上げました。 |
エディット・ピアフについては、彼女の伝記をテーマにした映画や、ドキュメンタリー映画も公開され、かなり知られている。ごく簡単に要約すると、極貧の環境に育ちながら、子供のころから抜群の歌唱力を発揮し、それを買われてデビューして、一躍シャンソンの女王と呼ばれるような成功を収めたということだ。一見して順調な生涯に映るが、実は紆余曲折の人生であり、四十代半ばには、薬物中毒のためにボロボロの体になっていた。 それでも彼女は48歳で死ぬまで 歌い続け、衰えを感じさせなかった。しかも、死んだときには数万人の人が彼女の死を悼むために集まったほど、多くの人々に愛されてきた。 彼女はまた、イヴ・モンタンやジルベール・ベコーといった男性歌手を世に送り出した。イヴ・モンタンとの恋人関係はよく知られている。男性との愛の遍歴は有名で、とくにプロボクサー・セルダンとの恋は、セルダンが死んだときに自暴自棄に陥ったほど深いものだった。 彼女は体格が小さく、身長はわずか142セントしかなかった。子供のころに、貧困のために十分な食事をとれなかったためだといわれている。それほどひどい貧困の中で育ったのだった。彼女の愛称 La Mome Piaf は、小さなスズメという意味だが、それは彼女がスズメのように小さなことから名付けられたものだった。 エディット・ピアフの代表曲「愛の賛歌(Hymne a l'amour)」は、彼女自身が作詞したものである。切ない女心を歌ったこの曲は、おそらく彼女自身の体験を詩にしたものであろう。そのほか「バラ色の人生(La Vie en rose)」の作詞も手掛けており、非凡な才能を思わせる。 彼女のレパートリーは多岐にわたっており、単にシャンソンの女王たるにとどまらず、フランスの歌姫たるの名声に恥じない。ここでは、そんなエディット・ピアフの代表曲をとりあげ、歌詞の和訳を紹介したい。あわせて、彼女の伝記をテーマにした映画を紹介する。特に、マリオン・コティヤールがピアフを演じた映画は、まるでピアフ自身が演じているような迫力を感じさせてくれる。 ・ バラ色の人生 La Vie en Rose ・ 愛の讃歌 Hymne a l'Amour ・ 三つの鐘 Les Trois Cloches ・ パリの空の下 Sous le ciel de Paris ・ 日曜日はきらい Je hais les dimanches ・ 十字架 Les Croix ・ パダム パダム Padam Padam ・ 水に流すわ Non, Je ne regrette rien ・ アコーデオン弾き L'accordeoniste: ・ ある日の恋人たち Les A ・ ミロール(だんな)Milord ・ 群集 La Foule ・ マリオン・コティヤールのピアフ伝 ・ エディット・ピアフ 天に届く声(La voix qui montait jusq'au ciel) |
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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2007
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである